風になったアブラハム 第3章 雅晴の変貌
第3章 雅晴の変貌 昭和39年
裕がそのドライビングスキル(腕)を必死になって磨いていたころ、中野雅晴もまた着実にプロレーサーへの道をステップアップしていた。雅晴も裕と同じように大企業の社長の御曹司だった。彼は北澤バルブの創業者の4人兄弟の末っ子として生まれた。裕と同じ年で誕生日も3月9日生まれ,わずか4日違いだ。目白の林に囲まれた大邸宅に住み、物質的には何の不自由もなく育てられた。そのあまりに桁はずれなお坊っちゃん振りから、同じ年代の子供たちからはiいつも敬遠され、気安く遊べる友達は少なかった。雅晴本人も(僕は他の子とは少し違うな・・)と年を重ねるごとに、自分の環境が周囲の普通の子のそれとはかなり違う事を自覚していった。それゆえに性格も成長するにつれてますます内向的になり、硝子のように繊細な神経を持つ少年になっていった。
幼稚園の時、夕方みんなと遊ぶ公園では
「雅晴君、また女中さんがお迎えに来ているよ。早く帰った方がいいよ」
小学1年の時、遠足で行った小川の川べりで裸足で遊んでいると
「雅晴君、泥遊びするとまた女中さんに叱られるよ。そこで見てなよ」
・・・・
中学生になった雅晴は荻窪にある私立の日大ニ中に行った。そこでも相変わらず友達はいなかった。勉強もスポーツもあまり目立たない、どちらかというと地味なタイプの少年だった。自分の方から周囲に話しかける事もまずなかった。裕がボーグルズのメンバーに会い、ベンチャーズに夢中になっていたころ、雅晴はオートバイの魅力に目覚め始めていた。
高校1年になったばかりの4月のある日、いつものように学校を定時に出て駅に向かって歩いていた。荻窪駅近くの喫茶店の前に一人の若い男と女の子2人が1台のオートバイを挟んで立っていた。雅晴がいつものようにうつむき加減に彼らの横を通り過ぎようとした時、突然背後から声が飛んだ。
「あれ、中野じゃないか?」
振り返ると学年が二つ上の大川敏郎だった。以前、冬の学校行事で行った戸狩スキー場の冬季合宿の民宿で相部屋だった先輩だ。大川は高3なので雅晴たち高1生より授業時間がかなり少なく、学校はいつも早めに終わっていた。だから大川はその時はすでに学生服は着ておらず、濃いめのブルージーンズと黒いなめし皮のジャンパーというラフな格好をしていた。彼の前には新車のホンダのオートバイがあった。近くにいた若い女の子たちは大川のガールフレンドの恵子と彼女のクラスメートの恭子だった。竹橋にある共立女学園のセーラー服を着ていた。雅晴がうつむき加減の顔を少し上げた時、二人はあまりに整ったその顔立ちに驚いて思わず顔を見合わせた。
このころすでに雅晴の身長は173cmになっていたが体重は50kg前後とかなり痩身だった。一重瞼だがくっきりとした横に流れる涼やかな眼をしていた。女性もうらやむほどの理想的なうりざねの細面で、その佇(たたず)まいはなぜか淋しげで、脆(あやう)さをそこはかとなく感じさせた。瞳には路地裏で捨てられた子犬のような、何ともいえない哀愁が漂っていた。それらすべてが少女たちの母性本能の奥底をくすぐった。
「ねえ大川君、彼にもオートバイ見せてあげたら? 」恵子は雅晴にいかにも好意的な、という笑顔をなげて大川に言った。大川の前には目も眩(まばゆ)いばかりの新車のホンダCBスポーツ77(305cc)があった。当時のホンダの最新モデルで最高時速は160kmにもなった。恵子と恭子が雅晴の顔をあまりにもあからさまにジロジロ見ていたので、大川は少しふて気味に言った。
「よし、わかった。見てろよ。驚くなよ」イグニッションキイを勢い良く廻しエンジンをかけた。
「ドッドッドッ」重低音の排気音があたり一面に木霊(こだま)した。大川がスロットルを少しずつ廻していった。オイルの焼け焦げるような匂いが強烈に漂い雅晴の鼻をくすぐった。エンジン音が徐々に大きくなり、やがて一瞬耳をつんざく豪音に変わった。今まで存在感をじっとひそめていたCBが突然野獣のような雄たけびを挙げ、雅晴の体の隅々にまで猛然と襲いかかってきた。先ほどまで冷たく光っていた単なる金属の塊(かたまり)が一瞬にしてたけり狂う野獣と化す。雅晴の脳裏の奥底で何かがピーンと弾け飛ぶのがわかった。雅晴は魔法にでもかかったようにいつまでもうっとりとCBを見つめていた。
「ここで話すのもなんだからもう一度お茶して行かない? 中野君もオートバイのこと色々聞きたいでしょう? 付き合いなよ」恵子が声をかけた。
「ええ、是非お願いします。僕もオートバイの事先輩に色々聞きたいです。 でもどうしてわかったんですか?」
「そのオートバイを見る熱い視線を見れば誰でも分かるわよ。ねえ、恭子? 」と、笑顔で恭子に相槌を求めた。
「うふふ」恭子は頬を少し赤らめて笑顔で返した。
4人で入った喫茶店で雅晴は大川に思いつく限りの質問を矢継ぎ早に浴びせた。
「大川さん、僕もオートバイに乗ってみたいです。どうしたらいいですか? 免許もないし、オートバイもどうやって手に入れたらいいのかもわかりません」
大川も気のいいバイク乗りだったので、雅晴の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれた。
「これからCB買ったバイクショップに行くけど君も一緒に行くかい? 中野にあるモトスポーツっていうんだ。俺のツーリング仲間のたまり場なんだ」
「えっ、本当ですか? 恵子さんたちはいいんですか?」
「大丈夫、大丈夫。私たちはこれから別の予定があるから」笑いながら恵子が答えた。
これから新宿に夏物の洋服を買いに行くという女の子二人とはここで別れ、雅晴は大川のCBの後ろにノーへルで跨(またが)った。荻窪から中野のショップまでオートバイであっという間だった。しかし雅晴にとっては今まで味わったことのない至福の時間だった。腰から五臓六腑にまで小刻みに響き渡るエンジンの振動音と体を吹きぬける春風がとても心地良かった。この日を境に雅晴はオートバイに一気にのめり込んでいった。
中野のモトスポーツでは雅晴と同じ年代のバイク好きの少年たちがたくさん集まっていた。次の日から雅晴は学校が終わると毎日モトスポーツに遊びに行った。そこでバイク好きの少年たちと話すのはとても楽しかった。これを境に今までの内向的な雅晴の性格が一変した。ワイワイガヤガヤとモトスポーツの仲間と一緒にバイクのエンジンをばらし、顔をオイルで汚して部品を交換している時の雅晴の表情ははとても生き生きとしてみえた。
雅晴はモトショップで知りあった同じ年の暁星高校1年の本橋昌也とお小遣いを出しあって中古のト―ハツ・ランペットCR2を15,000円で購入した。雅晴はクルマいじりに関しては親から援助を受ける事は一切しなかった。今までコツコツと貯めてきたお小遣いでなんとかやりくりした。それがまた雅晴にとっての小さなプライドであり自分への充足感に繋がった。
「中野君、俺昨日は3時間運転した。だからこの1週間で運転時間は合計15時間だな。」
「了解。じゃあ僕も今日から1週間で15時間を守るよ。」
雅晴はメーターの走行距離をチェックしてメモ帳に記入しながら答えた。二人は1週間間隔でランペットを交換使用していた。そしてその時間と走行距離は雅晴がいつも管理していた。几帳面な雅晴はかならず本橋の走行距離を越える事はしなかった。本橋が雨であまり乗れなかった時でも雅晴は我慢して本橋とピッタリ同じ使用時間と距離を守った。
そのうちオートバイから4輪へと徐々に二人の興味は移っていった。そして16歳になった雅晴と昌也ははすぐに軽免許を取った。雅晴はこの時ばかりはさすがに自分の貯金では無理なので、親に頼みこんでスバル360を買ってもらった。両親も車に興味を持ってから性格が積極的になり、明るくなった雅晴に快く快諾してくれた。学校からすぐに自宅のガレージで買ったばかりのスバル360を毎日少しずつチューンアップしていった。雅晴は初めて本当に自分が楽しめるものを見つけた気がした。
ある日雅晴の部屋で昌也といつものように自動車の専門雑誌Car Graphicを見ていた。あるジムカ―ナレースの記事を見て昌也が写真を見せて雅晴に言った。
「このパイロンをかわして行くレース面白そうじゃない?」
「あぁ、ジムカーナだね。僕も前からそう思ってた。今度大磯ロングビーチの大駐車場で練習があるみたいよ。主催者はマッド・ドラッカーズというチームだって。調べてみるよ」雅晴はすぐに雑誌に問い合わせて連絡先を聞き出し、マッド・ドラッカーズにすぐ連絡を取った。
ジムカ―ナとは当時流行していた公認された公道での一定距離を競う4輪のタイムレースだ。円錐形の大きめのパイロンを並べ,それを誰が一番早くすりぬけてゴールするかを競うものだ。コーナーを少しでもライバルより早く抜ける為にはレーサーにとって必須となる様々なテクニックが要求された。なかでもマニュアル車独特の高度なテクニックである「ヒール・アンド・トウ」や「ダブル・クラッチ」という技を磨くにはうってつけのものだった。
いつのまにかマッドドラッカーズ主催の公道練習の常連メンバーになった雅晴は、ジムカ―ナレースの奥深さにはまり夢中になっていった。特に難しいテクニックの取得に魅了された。テクニックが難しければ難しいほどそれを身に付ける努力は惜しまなかった。さらに努力を重ねたうえでそのテクがようやくうまくできた時、この上ない達成感が味わえた。やがて雅晴のジムカ―ナの腕は周りのメンバーが舌を巻くほどあっという間に伸びていった。
雅晴が急速に短期間で腕を上げた理由は主に二つあった。まず雅晴は車の扱いが繊細でとても丁寧だったので、故障がほかのメンバーの誰よりもきわめて少なかった事だ。そして常に研究熱心だったためレースで使う車種ごとの癖を隅から隅まで熟知しており、その車に負担がかかる無駄なドライビングテクを一切しなかったことだ。また一つのテクニックを身に付ける時は最初に攻略本を熟読し、その理論を繰り返し何度も読み返し、自分が納得するまで咀嚼(そしゃく)して誤解なきよう良く理解する。最後に論理的にすべて納得したら、それから実践で体が自然に覚えるまで同じ練習を何回も繰り返すのである。つまりその段階ではもはや脳ではなく、体が無意識に零コンマ何秒かのタイミングでいつ起こるかわからない潜在的な危険に対して瞬時にレスポンス(対応)する、まさに感覚的な反射神経を磨き上げていった。
だからすぐにマッド・ドラッカーズの中でもトップクラスの実力を持つようなり、すぐに目白支部のリーダーに抜擢された。そのすぐあとで船橋サーキットの東次郎のレースで裕と運命的な出会いをする事になる
第3章 完