風になったアブラハム 第8章 ヨーロッパフル参戦 

第8章 ヨーロッパフル参戦 昭和47年

昭和47年(1972年)2月19日、裕は意気に燃えて羽田からロンドンに一人旅立っていった。3月12日から始まるF2にフル参戦するためだ。F2は全14戦、それにノンタイトル戦3戦を入れて全17戦をこの年はすべてヨーロッパで戦い抜く予定だ。だから当然日本では1戦もする予定はない。羽田からおよそ14時間かけてようやくたどり着いたロンドンのヒースロー空港の出口ゲートには、いつもの優しい笑顔の由美子が待っていてくれた。裕はこれからのヨーロッパF2参戦の生活のベース基地として、ヨーロッパの中でも一番安全で、街並みが奇麗で、交通の便が良いと思われるロンドンを選んだ。但し、物価も一番高かったが・・。勿論、グレート猪瀬も裕と一緒にフル参戦だ。さらに今年からは由美子という精神的な支えができた。由美子も今まで東京と半々だった仕事の拠点をロンドン中心に移し、裕がロンドンにいるときはほとんど一緒に過ごした。6月25日、イタリアのモンツアレーシング場。この時までにF2を7戦とノンタイトル戦2戦をすでに消化した裕は3戦目のノンタイトル戦に挑戦していた。緑豊かな初夏のモンツア森林公園は一年の中で最も美しい季節を迎えていた。すでに夏の真っ盛りだが、空気は日本と違い湿気が無く、からりとしたさわやかな空気に包まれていた。ヨーロッパ、とくにイタリアではモータースポーツが大人気だ。4輪だけでなく2輪レースもフットボール(サッカー)と並ぶくらいテレビで頻繁(ひんぱん)に放映されていた。だからメインスタンドにはノンタイトル戦にもかかわらず、イタリアだけでなくヨーロッパ全土から詰めかけた熱狂的なレース狂いの若者たちで溢(あふ)れかえっていた。その大観衆の片隅に日本人らしき50台半ばの上品な顔立ちをした中年の夫婦と一人の可愛いらしい二十代前半の女性が佇んでいた。裕の両親の健二と瑞江、そしてフイアンセの由美子だ。レースに熱狂する大観衆とは裏腹に、この日本人3人の周りだけはまったく別の雰囲気を漂わせていた。獰猛(どうもう)な唸り声を上げて近づいてくる先頭集団には目もくれず、常にはるか先にある最終コーナーだけを身じろぎもせずじっと見つめていた。落雷のような激しい音を上げながら凄まじい速さでカラフルなマシンたちが目の前を何度も通り過ぎていく。3人はそれを見る事もなく微動だにせずずっと最終コーナーだけを見ていた。彼らはレースには全く関心がなかった。ただひたすら一台の赤いマシンが無事に最終コーナーを回ってくることだけを待っていた。カーナンバー27番のマーチ722フォード。ドライバーは勿論、裕だ。正面から健二、瑞江、由美子の順で座っていた。特に左端に座る由美子の顔色は驚くほど真っ青だった。瑞江は健二に幾度となく連れてこられていたからまだ以前よりは少し慣れてきたが、由美子はまだそうではなかった。裕が目の前で命を掛けてレースに出ている時は、まだ怖くてとてもまともに見ていられなかった。でもレースが終わり、無事に帰ってきた裕を見る顔には安堵のせいもありとても優しい笑顔が浮かんだ。だから裕は自分がレースをしている時に、由美子がいつもこんなにつらい表情をしていることは

まったく気が付かなかった。9周目まで裕は先頭集団に必死に食らいついていた。得意のコーナーでは常に優位に立ち、直線コースに来ると非力なマシンを補うためにスリップ・ストリームという危険なテクニックを頻繁(ひんぱん)に使った。これはタキレーシング時代に師匠の田中健二郎から叩き込まれた裕が最も得意とするテクニックの一つだ。ストレートで走るとマシンはまともに風圧を受けエンジンにかなりの負担がかかる。それを避けるために前を行く車の数センチ後ろにぴったりとつけ自らの空気抵抗を減らし、エンジンの負担を軽くする高度なテクニックだ。しかし250キロを超えるスピードで数センチの間隔で後ろに付けることは一歩間違えばそのまま死につながる,言わば諸刃の刃(もろはのやいば)のような危険な走法でもある。裕はメインスタンド前の直線コースでこれを何度も繰り返した。モータースポーツの盛んなヨーロッパでもこれほど見事なスリップストリームを鮮やかに決められるドライバーはそうはいない。観客は裕の勇気あるドライビングに狂喜した。「カザート、カザート」「ヒーロシ、ヒーロシ」あちらこちらから裕の勇気に称賛する声と口笛が飛び交っていた。しかし10周目のストレートに裕の赤いマーチだけがいつまでも姿を見せなかった。3人は凍りついた。健二は胸の前に手を組んで祈った。由美子はすでに顔色が真っ白になり、体が小刻みに震えだしていた。その左手を瑞江の右手がギュッと強く握りしめ、優しく左右に動かしてくれた。重苦しい時間がレースが終わるまで長く続いた。ふと気が付くとコースを挟んだ向かい側で裕が大きく手を振っていた。3人でピットまで急いで行くとすぐに裕が駆け寄ってきた。「心配させてごめん。コーナーで横からぶつけられてマシンが壊れちゃって・・」「けがはないのね?」「大丈夫。この通り!」裕が両手を広げて少しおどけて見せた。3人は心の中で大きくため息をついた。健二と瑞江の後ろにいた由美子は何も言わず、いつもの優しい笑顔を裕に送っていた。健二だけ気が付いたことだが、ピットの奥の隅の方で、グレート猪瀬が珍しく顔を真っ赤にして近くの別のチームのピットクルーに英語で激しく詰め寄っていた。「一歩間違えばうちのドライバーはあやうく死ぬとこだったんだぞ! ふざけた運転させんじゃねえぞ!」健二は猪瀬のこの言葉が耳に焼き付いて離れなかった。「一歩間違えば死ぬとこだったんだぞ!」一度深くため息をついてから、その言葉を一人自分の胸の奥深くに飲み込んだ。裕が無念のリタイヤをしたレースの翌日、まだ疲れが抜けきれていない健二と瑞枝をミラノのホテルに残し、裕と由美子はミラノの街を二午後から人で散策した。まず二人はミラノ大聖堂(通称ドゥオーモ)の広場が一面に見渡せるオープン

カフエの一角に腰掛けとめどない話をしていた。前の広場にはたくさんの人々が行き交い、それに負けないほど多くの数の鳩がたむろしていた。「由美ちゃん、ここは観光の名所だけど、ひったくりの名所でもあるんだよ。知ってた?」「そうなの?」「彼らのやり口はひじょうに巧妙なんだ」「どうやるの?」「まず、外国人観光客の中にとろそうな一人のカモを見つけ、狙いをつけるんだ、最初に小学生くらいの年の子供たちが5~6人でチップを求めて獲物の前を取り囲むんだよ。そしてみんなで一斉に大声で「チップちょうだい」を連呼するんだ。そうすると当然、その観光客は前ばかりに注意が行くから、背後はノーガードになってしまう。その隙(すき)をついて中学生くらいのメチャクチャ足の速い男の子が金目の物が入っているバッグを後ろからパッとひったくって自慢の足でサッと逃げるんだ」「へ~、子供たちがひったくりするの?」

「そう、だから彼らは一人ではやらないんだ。必ず5~6人の集団の一糸乱れないチームワークで、ひったくりや置き引きをここで繰り返すんだ。子供だけど完全に組織化されたプロの犯罪集団なんだよ。」「日本では信じられないことだわね」「日本に比べてまだイタリアは貧しい人が多いからね。特にジプシーみたいな他の国から流れてきた移民は多くいて、その子供たちもとても貧しいからね。彼らは無論学校になんか行っていないよ。だけどもっとやるせないのは、彼らの背後には必ず大人の見張りが1人いて、そいつが少し離れた所にいて、顔と目と指で子供たちに合図して引ったくりを後ろから指図してるんだよ」「え~、信じられないわ」「だからパスポートとお金が入ったバッグは必ずたすき掛けにしたりウエストポーチに入れたりして引ったくられないようにするのがイタリア観光の常識なんだよ。まだお金なら取られても何とかなる

けど、パスポート取られたら外国では大変だからね」「盗んだパスポートは彼らはどうするの?」「もちろん、お金だけ取ってポイっと捨てるみたいよ」由美子は驚いて何も言えなかった。 そしてたすき掛けにしていた自分のベージュ色のバックの金色のチェーンを手でもう一度触って確かめた。その後、ドゥオーモの裏手にある小店がびっしりと立ち並ぶ通りを二人でブラブラと歩いてウィンドウショッピングを楽しんだ。ミラノは表道りは一応に奇麗だが一歩裏に入ると、ほとんどの通りには地元の通行人がポイ捨てしたゴミとか吸い殻とか散歩の途中の犬の糞(フン)とかが、あちらこちらに落ちており一般の日本人が持つ奇麗なイメージとはかけ離れていた。だけど本来のミラノ庶民の生活がそこに垣間見えて、裕と由美子はまたそういう別の一面を見せるミラノも気に入っていた。裕が由美子を促して2階建ての古びたレンガ造りのビルの中にある雑貨店に入った。店の中にはかなりの数のアクセサリーから日用雑貨品、衣類まで色々なものが無造作に雑然と陳列されていた。「由美ちゃん,見て見て。このモンクレーのダウンジャケット、日本円換算で3万円くらいだよ。」裕は壁際に無造作に吊り下がっていた赤いダウンジャケットをおもむろに取り上げた。「これ日本で買ったら少なくても10万円はするよね?」「本物かな?」タグや裏地を真剣にチェックした由美子から「これは本物」とお墨付きをもらった裕は即決で買い、由美子にプレゼントした。中年の店主は何度も「これはお得だよ。凄い掘り出しもんだよ。あんたたちはとても運がいい!」と、片言のイタリア訛りのへんてこな英語でまくし立てた。「でもとても安すぎて梱包や袋は出せないから、悪いけどそのままむき出しで持ち帰ってくれない?」すでに陽気は真夏のミラノの街中をフカフカの赤いダウンジャケットを抱えて歩く若い東洋人のカップルに、すれ違うミラノっ子たちは好奇な眼を注いでいた。裕と由美子はこの年日本で一度もレースをすることなくヨーロッパ全土を二人で飛び回り、当初に予定していたF2戦17戦をほぼ納得のいく好成績でやり遂げた。

第8章 完